ごきげんよう。
桜餅こと、桜田餅子(28)です。
吉本ばななさんの作品を名言から紐解くシリーズ。
前回のはこちら。
1つの記事に収まりきらなかったのでvol2です~。
ていうか前回の、時系列とかめちゃくちゃでしたね。
今回もめちゃくちゃです(笑)
さっそくいきます!
- 「庭は、私の感覚が出発した地点、永遠に変わらない基準の空間だ。」-ハネムーン2000年発行
- 私は、もしかしたら眠りに憑かれているのかもしれない。-白河夜船 1992年発行
- 「行きくれてそのままひとり、遠くの潮流に迷い込んでしまいそうな、哀しい予感がした。」ー哀しい予感1988年刊行
- その投げ出した両足の、右のももの付け根にちいさなとかげの入れ墨を見てとったとき、私は完全にまいってしまった。-とかげ1993年刊行
「庭は、私の感覚が出発した地点、永遠に変わらない基準の空間だ。」-ハネムーン2000年発行
お隣さん同士で育ち結婚した、まなかちゃんと裕志くんのハネムーンを通したお話。
2人の出生や周りの人たちや2人に起こることが、なかなかに辛いんだけど、2人とも心が丈夫だから染まらない。安心して読める。
「本気で、いろいろなものを見ていると、どんな小さなものの中にも、ニュースを見ているよりももっとすごい真実味があるのよ。」
まなかちゃんはこれを毎日庭に座ってぼんやるする習慣から得ました。
そのことを思い出して、その時に感じていたよりもずっと楽しかったりすることで、その人の大切さがわかる時がある。
この一文。個人的に吉本ばななさん最大の名言だと思う。思い出がふくらむことでその人の存在もふくらむ感じ。分かる。分かりすぎる。
私は、もしかしたら眠りに憑かれているのかもしれない。-白河夜船 1992年発行
じわじわ辛いことがあって、ぼーっとして、眠りから起きられなくなるほどになる話。ちょっとしたことであっさり回復する。
ただひとつ、ずっとわかっていることは、この恋が淋しさに支えられているということだけだ。この光るように孤独な闇の中に二人でひっそりいることの、じんとしびれるような心地から立ち上がれずにいるのだ。
そこが、夜の果てだ。
短編でシンプルな構成なんだけど、作品のメッセージを登場人物の設定とストーリー展開だけで全部語っててすごいなーと思う(小並感)。
ファンじゃないと汲み取れない内容だけどファンには物足りず、ファンじゃない人にとってはひたすら意味不明なのではと思う・・・。
アマプラでタダで見れます。
まだアマプラ入ってない人はこちらからどうぞ。
「行きくれてそのままひとり、遠くの潮流に迷い込んでしまいそうな、哀しい予感がした。」ー哀しい予感1988年刊行
これまた初期作品。タイトルが秀逸すぎる。
文庫本で大幅加筆修正されているので、文庫版がおすすめです。
この人は、時間の止まった古城の中で、失われた王族の夢を抱いて眠る姫だったのだと私は思った。もうこの世にその栄華を知るものはたったひとり、心はいつもそこへ還ってゆく。
主人公は弥生ではなく、実はゆきのおばさんの物語だと思っている。
自分の記憶の中でだけ生きるお姫様。
今までのどのような恋も、こんなふうに風景を消し去ったことはない。
もうね~この2人はね~・・・運命だよ、しかたないよね。
哲生のような「育ちの良い男の子」はいるようでいない。
全然王子様っぽくはないんだけど。
少女漫画に出てくる男の子のように、ファンタジアな存在。
その投げ出した両足の、右のももの付け根にちいさなとかげの入れ墨を見てとったとき、私は完全にまいってしまった。-とかげ1993年刊行
短編集。表題集の「とかげ」の以下のたたみかける部分が好きなだけです。
この描写があるからこそ、主人公がとかげに「同情で近づいたのではない」という前提が読者にさらっと伝わっててすごい。
どうしてもどうしてもさわりたくて、気が狂うほど、もういてもたってもいられなくて、彼女の手に触れることができたらもうなんでもする、神様。
そう思った。そう思ってした。自然も不自然もない。せざるをえない。思い出した。本当はそうだった。何となく気があるふたりがいて、何となく約束して、夜になって、食べて飲んで、どうする?となって、今日あたりいけるとお互いが沈黙の打ち合わせをしてる、というものではなかった。本当はただたださわりたくて、キスしたくて、抱きたくて、少しでも近くに行きたくてたまらなくて一方的にでもなんでも、涙がでるほどしたくて、今すぐ、その人とだけ、その人じゃなければ嫌だ。それが恋だった。思い出した。
はい、このへんで終わりにしておきます。
自己満だけどこの企画楽しすぎる。
改名後の「よしもとばなな」編もやりたくなってきた・・・。
どんとはれ!
☆読書関連記事☆
vol1はこちら
瀬尾まいこさんもすきです。
電子図書について思うところ。