ごきげんよう。
桜餅こと、桜田餅子(29)です。
そこそこに読書が好きなのですが、いまいちブログに好きな小説の事を書けていないなぁと思いまして新コーナー?を設置してみようと思います。
名付けてそのまま、「読書感想文」。
見出し気にしたり、一文短くしたり、色付けたりとか、いわゆる”ネット文体”から離れて、だーっと論文風に書く場があってもいいかなと思っての試みです。
レビューでも、推薦文でもなく、ただただ読書感想文です。
続くかどうか不明だけど(このブログには続き物になりかけの未完成シリーズが多数存在するのである!)、ちょっとやりはじめてみまーす。
あくまで「読書感想文」でやろうと思うので普通にネタバレ込で書きますので、読むつもりの作品等が取り上げられた場合はそっと閉じてください。(推理小説とか、ネタバレ厳禁作品はもちろん取り上げません)
基本的に物語作品の感想です!最近出版されたものに限らず、本棚に並んでいる何度も読んだ大好きな作品をひとつひとつ、考えたことをカタチにして整理していこうと思います。
第一回は江國香織さんの「流しのしたの骨」で書きます!だいすきな作品です!!

あなたには、この世で家族しか知らない、家族の秘密があるだろうか。
もちろん、貯金や年収等誰しも当たり前に秘密にしているものは除く。もっと「これは誰にも言えない、ばれたくない」といった類のものだ。あまり意識して過ごしていないと、「いや、特にないな」と思うかもしれない。では質問を変える。
『あなたの家ではリモコンをなんと呼びますか。』
私の実家では、リモコンのことを”ピッピ”と呼ぶ。きっと私が赤ちゃんの時にそう呼んでいたのがずっと定着したとか、ありふれた理由なのだろうが、うちではお父さんもお母さんも弟も、いい歳して当たり前のように恥ずかしげもなく「ピッピとって」と言うのだ。これがあまり普通の事ではないことに気付いたのは随分大きくなってからで、一人暮らしを始めてからだった。周りにも一人暮らしをしている友達が多く、それぞれの家で遊ぶ機会ができた。そこで「ピッピどこ?テレビつけていい?」という発言に怪訝な顔をされ、初めて”そりゃ通じない”ことに思い至ったのであった。もちろん、リモコン=ピッピという名称だと思い込んでいたのではなく、あくまで家族内の通称と理解していた。しかしそのことを深く考えたことがなかったのである。
ところで、この会話をすると意外にもリモコンというのは各家庭で呼び名がある話に必ず発展する。普通にリモコンという家庭あり、バッチンと呼ぶ家庭あり(バッチンと音がして切れるからだそうだ)、ピコピコという家庭あり。そしてさらにはミカンはチュッチュッと呼ぶだとか、例えテレビゲームでも「しねー!」というのは野蛮なため禁止されており、その際は「チョコ食べたい」と言い換えなければいけなかった、などというリモコンを超えた家族ルールの話になり超絶盛り上がる。
この「リモコンの件」というネタを知った私は、その後の人生で気の合う友達や恋人など、もっと仲良くなってみたいと思う人に必ずこの話を振るようになった。相手の育ち方や家族の様子など、言語化できないその人自身の背景がまるごと深く知れたような気になる。相手にぐっと近づける気がして嬉しくなる。
江国香織著『流しのしたの骨』は19歳の主人公こと子が暮らす宮下家の「リモコンの件」に類するような家族の中で起こることが淡々と描かれる。それは本人たちにとっての日常だが読者にとっての全く新しい世界だ。銀杏を剥くか本を音読するかどちらか一方を選んでやるお手伝い。食卓に飾る葉っぱや木の実を拾ってくるお手伝い、そして良いものが見つけられず帰ってくると母がものの数分で見つけ出すという事実。上から2番目の姉しま子ちゃんが何年も前に7校も受験して落ちた大学・受験日・発表日を空で言えるか毎年確認する遊び、長女のそよちゃんはお嫁に行ったのだから絶対に家に泊まってはいけないというルール、末っ子の律くんが家の鍵を閉める役割であること。まだまだたくさん。
さて、『リモコンの件』の話。これは確かに、友人間で話が挙がらなかったら永遠に我が家の外で日の目を見ないことだった。しかし秘密にしていた訳では無い。特に聞かれなかったからだし言う場面も無かっただけのことだ。果たしてこれが「家族の秘密はあるか?」に変わる質問に成り得るだろうか。こんなことが『家族の秘密』なのだろうか。
主人公こと子(19歳)は”20歳までは親には扶養義務がある”という信念のもと、なにもしない日々を送っている。友人の紹介でできた同い年の大学生の彼氏、深町直人(これがまた育ちの良さを感じられる良い男)に、ある日中学3年生の弟・律を紹介する。フルーツパーラーで席に着きそれぞれパフェやゼリーを注文し、運ばれてきたときにそれは起こった。律が深町直人の頼んだグレープゼリーの弾力に魅入り、思わず人差し指でつついてしまう。読者もこと子も驚いてしまう。それは、律がそんな行動をとることではなく、家族の中でならやりそう(本当にやっているのかもしれない)な振る舞いを、他人である深町直人の前でやってしまったから。こと子も思う。
『律が、家族以外の人間の前でそんなふるまいをするのをみたのは初めてだった。』
『私と律は黙りこんだ。マナーとか行儀とかの問題ではなく、なんとなく、秘密をみられてしまったような気がしたのだ。』
やはり、恥ずかしくなる限り、それは秘密だ。リモコンをピッピと言うことも、ミカンをチュッチュッと言うことも、少しの自虐や照れ笑いが含まれる。言ってしまった、という感覚がある。きまりが悪くてドキドキしてしまう。その変な緊張は突き詰めていくと、誰かを殺した骨をそっと暗い暗い流しの下に隠しているような、そういう類のおどろおどろしさ。本作が一見ほのぼのとした日常を描いた普通の話なのに、覗き見するような気持でのめりこんでしまうのも、各家の日常が表立って語られることのない”秘密”だからではないか。本作は内容だけ取り上げると、とてもほんわかした作品に思えるのだが、全体を通して明るい印象はない。特別悪い人が出るわけでも、バットエンドでもなく、ただ素直に暮らしている宮下家を読んでいるだけなのに。内容に反して、手に汗にぎって前のめりで読んでしまうのだ。
物語の終盤、長女そよちゃんの引越しを手伝いに行ったこと子と次女しま子ちゃんは、流しの下を片付けようとしてお手製梅酒やジャム、様々な瓶詰を発見する。そよちゃんの家を後にしてしばらく経ってから2人は流しのしたの骨のことを思い出したという話をするのだった。それは兄弟みんなが子供だった頃、母が臨場感たっぷりによく話してくれたお話の1つ、かちかちやまの一節だった。こと子はこう語る。
『なかでも衝撃的だったのがかちかちやまで、これは、私や律は勿論、いちばん年上でたいていの物事には動揺しない(と、当時私たちが思っていた)そよちゃんまで、容赦なく恐怖の底にたたきおとした。
「流しのしたの骨をみろっ」
母は低く太い、よく響く声でずばりとそう言って、私たちの心臓を刺し貫いた。話の山場、言葉が刃物みたいになる瞬間。流しの下の骨をみろっ。』
とても怖かった記憶をこと子が思い出すとき、私達もまた、普段語られない家庭の中を今まさに覗いている後ろめたさで恐怖のどん底に突き落とされるのだ。
身近な、星の数ほどある、「家族」。今日も誰にも語られず、ひっそりと、朗らかに、様々な秘密が築かれている。まるで流しの下にかくした骨のように。