突然ですが、皆さん読書は好きですか?
私は、本が大好きで、特に吉本ばななさんの作品が大好きで、全作品読んでいます。
ちなみに、「吉本ばなな」さんが好き。
妊娠された頃に「よしもとばなな」さんに改名されてます。(姓名判断が微妙なことに気付いたそう)
今も素敵なんですが、初期のころの「吉本」作品の方が好き派です。
※ちなみにちなみに、すごーくややこしいことに
また2015年くらいに「吉本ばなな」さんに再改名していますww
焦ったよ。書店で「吉本ばなな」って見たとき。
「えっっ!?!?!?読んでないのあった!?!?」って。
ややこしいことやめてーー!!
で、話は戻り
吉本ばななさんの何が魅力かって、作品の中ではっとするフレーズが満載なこと。
もはや哲学書なのか?というレベル。
マジで、人生に大切なことを全て吉本ばなな作品のセリフや表現から学んだといっても過言ではない。
心の底が震えるような感覚が止まらなくて、先へ先へと読んでしまう。
そういう作品たち。
逆に言うと、
「ページがめくるのがとまらないストーリー!」とか「あっと驚く展開!」とか
「胸が切なくなる青春ラブストーリー!」とか「衝撃の大どんでん返し!」とか
「魅力的なキャラが大活躍」とは180度違うところにある作品だと思う。
人によっては読んだ後「・・・・で??」ってなるかも。
「なにかが起こって、解決する」ような手に汗にぎる作品ではないです。
もしかしたら読む人を選ぶ作家さんかも。
どちらかというと、詩集を読むように文章のテンポを感じるものというか。
登場人物の日常を一緒に生きるものというか。
主人公にとって大切な変化が起こった時に、何を思うのか、見守るものというか。
そんなかんじだと桜餅はとらえています。
作品の魅力が少しでも伝わるように、作品の一部を引用しながら紹介してみます。
少しでも興味が沸いたら、ぜひ一冊手に取ってみてください!
- 「私がこの世でいちばん好きな場所は台所だと思う。」ーキッチン 1988年刊行
- 「生きていくっていうことは、ごくごくと水を飲むようなもの」-アムリタ(上・下)1994年刊行
- 「嵐を好きになってから私は、恋というものを桜や花火のようだと思わなくなった」-うたかた1988年刊行
- 「おまえを好きになった」-TUGUMI1989年刊行
kindleや楽天coboで読むのも、この作品たちならオススメ!
推理小説をkindleで読むのはオススメしないけど。詳しくは以下。
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「私がこの世でいちばん好きな場所は台所だと思う。」ーキッチン 1988年刊行
おそらく彼女の一番有名な作品であるこちらから。
大切な人を亡くした方、台所が大好きな方にもオススメ(なんじゃそりゃ。でも本当そう。)
でも人生は本当にいっぺん絶望しないと、そこで本当に捨てらんないのは自分のどこなのかをわかんないと、本当に楽しいことがなにかわかんないうちに大っきくなっちゃうと思うの。
このような哲学を得るほど絶望した彼女が、どのように這い上がったかは読んでのお楽しみです。意外な方法だけど、納得感があります。
ただ、こういうとても明るいあたたかい場所で、向かい合って熱いおいしいお茶を飲んだ、その記憶の光る印象がわずかでも彼を救うといいと願う。
傷ついている大切な人を復活させたい方にも、読んでほしい名シーン。
人はみんな、道はたくさんあって、自分で選ぶことができると思っている。選ぶ瞬間を夢見ている、と言った方が近いのかもしれない。私も、そうだった。しかし今、知った。はっきりと言葉にして知ったのだ。決して運命論的な意味ではなくて、道はいつでも決まっている。毎日の呼吸が、まなざしが、繰り返す日々が自然と決めてしまうのだ。
このシーンにいたるきっかけのカツ丼が美味そうすぎて辛い。
「生きていくっていうことは、ごくごくと水を飲むようなもの」-アムリタ(上・下)1994年刊行
桜餅が一番好きな作品。もうね、私にとっての聖書。
必死に生きる登場人物たちと、必死に生きた結果死んだ美しい妹の話。
主人公が記憶喪失になったとこから始まり、下巻の序盤に思い出すんだけど、その思い出すきっかけがすごい!
私が記憶喪失になったら、きっと同じように、これがきっかけになる。(←読んだら意味が分かります)
私は生きてゆく意義、みたいなことばっかり考えていて、しかもそのことだけは他人と分かち合いたくない。そんなものは黙っていてもいつのまにか分かち合っているものだ。話し合ったりわかり合わなくていい。
そんなことするとダメになってしまう。大切なものが話しているはしから次々と消えてしまう。なくなっていまう。そして、輪郭しか残っていないのに安心してしまう。
わかる~~!!わ~~~か~~~る~~~~!!!
愛ってね、形や言葉ではなく、ある一つの状態なの。発散する力のあり方なの。求める力じゃなくて、与えるほうの力を全員が出していないとだめ。
下巻の純子さんの行動を知ったあと読み返すと、泣ける。
人と人がいて、お互いがこの世にひとりしかいない、二人の間に生まれる空間もひとつしかない。そのことを知ると、ましてそこになにか特殊に面白そうな空間があることを知ると、無意識に人は距離をつめてもっとよく見ようとする。
分かる分かる。
その距離の詰め方のベクトルが全然相手と合わない=失恋なんだよねぇ。。。
空が青いのも、指が五本あるのも、お父さんやお母さんがいたり、道端の知らない人と挨拶したり、それはおいしい水をごくごく飲むようなものなの。毎日、飲まないと生きていけないの。
この小説を表現した一文と言っていい。
ちなみに、アムリタ=神様が飲む水という意味です。
「嵐を好きになってから私は、恋というものを桜や花火のようだと思わなくなった」-うたかた1988年刊行
珍しく普通の恋愛もの。
私はこの作品のヒーローである嵐くんに一時期ガチ恋だった。
人を好きになることは本当にかなしい。かなしさのあまり、その他のいろんなかなしいことまで知ってしまう。果てがない。嵐がいても淋しい、いなくてももっと淋しい。いつか別の恋をするかもしれないことも、ごはんを食べるのも、散歩するのもみんなかなしい。これを全部”嬉しい”に置き換えることができることも、ものすごい。
もうねぇ~~。淋しくないと恋じゃないからねぇ~。
「幸せっていうのはな、死ぬまで走り続けることなんだぞ」「それに家族はどこにいてもひとつだけど、人は死ぬまでひとりだ、わかったか。」
おとうさーーん!これをさらっと言えるから、あのお父さんなんだなぁ。
「おまえを好きになった」-TUGUMI1989年刊行
強烈に夏と海の香りがする作品。伊豆など海へ旅行に行く時のおともにしたい作品。
名言というより、作品全体を通して浮かび上がる病弱で意地悪な美少女、つぐみの輪郭が圧倒的なので、ぜひ最後まで読んでいただきたいなぁ。
そして、つぐみに「お前を好きになった」と言わせた恭一の話をご一読を。
あんなの、惚れるわ。
つぐみもひとり、心の中で何かを得たり失ったりしているということなのだろうか。つぐみはあまりにも「自分」というものがはっきりしっかりしていて、とても何かを得たり失ったりしているように見えなかったから、私はふいにつぐみにピントが合ってしまったような、妙に切ない気持ちになった。
つぐみが布団の上で大人になったことがよくわかる・・・。
つぐみの心や言葉よりも、もっとずっと奥の方に、つぐみのめちゃくちゃさを支えるひとつの光があった。その悲しいほどつよい光は、本人も知らないところで永久機関のように輝き続けているのだ。
その「光」が話の最後、燃え尽きるんじゃないかと思うほど激しく光ります。
少しでも魅力が伝わっていたらうれしいです。
愛が溢れすぎて、思いのほか長くなったので、続きを書きました。
どんとはれ!!
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